「国際貿易」2007.1.2号に田中修氏の「調和社会実現への課題」と題した興味深い文章が掲載されていた。昨年10月の中国共産党第16期第6回中央委員会総会の決定を紹介しつつ、現代中国が抱える問題点を分かりやすく解説している。「先富論」(条件のあるものから先に豊かになることを許し、共同富裕の基礎を作る)から「共同富裕」(言い換えれば調和社会)へ進むためには、「不当な既得権削減がカギ」との主張にはうなずけるところが多い。

      調和社会実現への課題
                                財務省財務総合政策研究所 客員研究員 田中 修

2006年10月に開催された党16期6中全会は、「社会主義の調和のとれた社会構築の若干の重大問題に関する党中央決定」(以下「決定」)を採用した。この構想は、2004年の党4中全会において初めて提起されたものであるが、2年の検討を経て「科学的発展観」と並ぶ重大戦略思想としてその内容が確定したのである。

 「決定」では、「わが国は、既に改革発展のカギとなる時期に入っており、この時期には経済体制が深刻に変革し、社会構造が深刻に変動し、利益構造が深刻に調整を要し、思想観念が深刻に変化する」としている。1人当たりGDPが1000jから3000jに至る過程においては、経済社会の構造的な変革が発生するといことは、かねてから指導部の間で指摘されており、この段階における経済社会政策の方向性を誤ると、いわゆる「ラテン・アメリカ現象」が発生し、経済格差拡大等による社会の混乱・経済の停滞が発生するとされてきた。

<1人当たりGDP3000j目指す>
 2020年に中国は1人当たりGDP3000j突破を目指しており、このため「決定」は、2020年までの目標・主要任務として、@社会主義民主法制の整備、A都市・農村、地域間の発展格差拡大傾向の反転、合理的で秩序立った所得分配構造の形成、B就業が十分で都市・農村住民をカバーした社会保障体系の確立、C基本的な公共サービス体系の完備、D全民族の思想道徳・科学文化・健康の素質向上、Eイノベーション型国家の形成、F社会秩序の改善、G資源の利用率の向上・生態環境の好転、H高水準の小康社会の全面的実現、を挙げている。

 これは同時に、ケ小平の言う「先富」から「共同富裕」の達成への本格的移行に他ならない。彼はいわゆる「南巡講話」において、20世紀末には格差問題の解決に取り組むよう指示していたが、「先富」政策の恩恵をもっとも受ける上海を政治的基盤としていた江沢民指導部は21世紀に至っても都市・工業・沿海部中心の経済発展政策を継続し、2003年の新型肺炎SARSの災禍を招くことになったのである。

<所得分配秩序規範化で格差是正>
 この「調和社会」実現のための最も中心的課題は、所得分配秩序の規範化による経済格差の是正である。現在、所得分配秩序の混乱として指摘されているのは、@国有企業・独占業種・事業単位の高給、A一部企業の最低賃金制度を無視した給与のカット・未払い、B個人所得税の欠陥と財産課税の不備による高所得者の課税漏れ、C国有財産の私物化・脱税・汚職・密輸・模造品製造等による違法収入の存在であるが、呉敬lは「貧富格差拡大の主要原因は腐敗である」とし、現在最もうまく大金を稼ぐ方法は末端官員に賄賂(わいろ)を渡し、小炭鉱の採掘権を買い取ることだと指摘している。

 このような観点からすれば、「調和社会」実現のためには、まずは@高所得者に対する個人所得税の課税強化、遺産税の導入、都市・農村全体をカバーする最低生活・最低医療保障制度の確立、中央から地方への一般的な財政移転支出制度の強化等の財政による所得再分配機能の強化と、A義務教育・医療衛生・雇用・社会保障・生態環境・公共インフラ整備等公共サービス分野への財政資金の重点投入が重要であるが、それ以外にもB国有企業・独占業種・事業単位への独占禁止政策強化による競争原理の導入、最低賃金制など労働基準行政の強化等の産業・社会政策が必要となる。
 しかし、最も重要な対策は腐敗を厳しく摘発し、「先富」政策によりもたらされた不当な既得権益を削減することであり、この点党6中全会の直前に上海市が粛清されたことは興味深い。

 2007年は17回党大会が開催されるが、胡錦涛指導部が既得権益を代表する旧勢力を排除し、強固なリーダーシップを確立できるか否かが「調和社会」実現の成否を占うカギとなろう。

(本稿の内容はすべて執筆者の個人的な見解であり、財務省や財務総合政策研究所の公式的な見解を示すものではない)

<資料>呉敬l(Wu Jing Lian)は現代中国における代表的な経済学者の一人である。1930年1月24日江蘇省南京市に生まれ、1954年復旦大学経済学部を卒業した。同年中国科学院経済研究所に配属された。1984年より中国の国務院発展研究センター(1985年7月まで、その前身である国務院経済研究センター)で比較経済学と社会主義経済改革の理論や政策の総合研究に従事し、中国経済体制改革の理論の構築や政策制定に直接携わってきた。改革開放当初から一貫して競争原理に基づく市場経済の形成の必要性を主張し、今日の中国経済改革はほぼ彼の提言通りに展開されている。1990年代初頭に起こった市場経済の導入を巡る論争において、呉敬lは計画経済を支持する人たちから「呉市場」と揶揄されたが、1992年のケ小平氏の南巡講話以降は、市場経済は中国が国を挙げて目指す経済体制改革の目標となり、「呉市場」の名声は全国に知られるようになり、市場経済の旗手としての呉敬lの地位は不動のものとなった。呉敬lは、70歳を超えるというご高齢にもかかわらず、中国における「良い市場経済」の確立を目指し、現在も改革の最前線で精力的に活躍し続けている。